茶の湯コラージュ(2)

 そもそも、お茶を飲む習慣が唐から日本にもたらされたのは、平安時代であったわけですが、ごく一部の人たちが、たしなむ程度のものでした。

 

 鎌倉時代になると、薬として、また遊びの一環として、武将や公家たち、いわゆる上層の階級に飲まれるようになります。

 

 室町時代になると、経済の発展に伴う町人の台頭によって、庶民の間にもお茶は広まっていきました。室町から安土桃山時代にかけては、武家で行なわれていた書院の茶とは別に、草庵茶が形成されるようになりました。

 

 村田珠光(むらたじゅこう)、武野招鴎(たけのじょうおう)などを経て、利休へ至り、侘び茶が完成されていきました。

 戦国の時代にありながら、お茶の文化が隆盛を極めたときでもありました。

 

  明日をも知れぬ運命の武将や武士たちが、戦のあい間をぬっては、よくお茶に親しんだわけですが、一服のお茶に彼らは何を思い、何を託したのでしょうか。

 

 

[ 富国強兵とお茶 ] 

 日本の近代化は、長い鎖国政策を経て、やっと文明開化の時代となりますが、西欧の文物に触れた人々の価値観はそれまでとは一変してしまいます。

 

 東洋は西洋に比べて何もかも遅れていて未開の社会であり、文化性も低く、劣っているというような認識が蔓延し、脱亜入欧の時代へと推移していきました。

 

 国は西洋の列強国家と肩を並べようと、国力の増大をめざすことに総力をあげて突き進みました。

 

 国力を増すということは、国の文化の力も増大し、世界への文化的影響力が増さなければならないはずですが、実際に増大していったのは産業と軍事力と社会の歪みでした。

 

 芸術をはじめとする文化的なものは、政府の欧化主義によって、欧米の風俗や習慣、思想などとともに日本へどんどん流入はしてきたものの、日本独自のそれは、相対的にその比重が低下し、わずかに一部の人たちの手によって細々と行なわれるに過ぎないほどの、庶民とはあまり縁のない状況となりました。

 

 お茶にしても、せいぜい家元と一部の数寄者によって営まれる程度のものに衰退してしまったと言ってもよいでしょう。そして、日清、日露の戦争を経て対外膨張政策が強まり、太平洋戦争に至るまで軍国主義的色彩の強い時代にあって、男たちや女工と呼ばれる人たちが軍事や産業の担い手となっていきました。

 

 ただ、この時代になって、一部の女性たちの間にお茶が浸透していったことは、ある面から見れば、ひとつの救いであったかも知れません。

 現代では、茶の湯に親しむ人の数は増加しつつあるとはいえ、この時代の残した悪い影響を未だに引きずったままであるのが現状なのかもしれません。

 

 

 

女性上位のお茶 ] 

 軍国主義の時代が終わると、次にやってきたのは戦後復興の時代、高度経済成長の時代でした。

 

 この時代になると、男たちはそれまでの戦争の兵士から、今度はビジネス戦士へと変貌を遂げることになります。経済至上主義の始まりです。

 

 男たちは会社(組織)を生活の拠り所とし、何ごともこれを基準に考え、行動してきました。明治維新後の武士道の国民道徳化は、ここでもその規範となり、まさに、「武士とは死ぬことと見つけたり」という言葉に象徴されるように、会社(主君)に対する無償の行為を続けてきました。

 

 「男は一歩家を出たら7人の敵と戦うのだ。男が外に出たあとの留守中は、女が家という陣地を守り通さなくてはならない。」という考え方が支配的でした。

 

 一方、女たちは社会の中心からは、少し外れたところで生きることを強いられましたが、そのお陰というより、むしろ、したたかに生きることができたわけです。

 

 コミュニティの活動や趣味の活動などは、社会の中心的なものではないという男たちの世界観とは違って、生活の身近な問題をいくつも経験し、地域活動や非公式集団といったかかわりの中で、個としての生き方や、より人間らしい感覚を身につけて。比較的自由な発想で日常生活を営んできました。

 

 とすれば、お茶に限らず、様々な文化的分野において、女性たちが数の上でも多くを占め、その担い手となっていったのは、当然の成り行きであったといえるのではないでしょうか。

 

 問題なのは、数の上に占める女性の割合が多くても、女性であるが故に、それぞれの分野で重要な地位を占めることが困難であるという現実があることです。

 例えば、お茶の世界にしても、女性の家元、宗匠といわれる人が、何故少ないのでしょうか。

 

 ある人の「お茶は、そもそも伝統的な男たちの文化であるから、女性がそういう地位を占めるのは、伝統文化の継承の意味が薄れるではないか。」という意見は、文化というものを、固定した静的なものと考え、決して変化させてはならない大切なものだという認識のもとで出てくるものであって、単なる男たちの言い訳にしか過ぎないことは明白でした。

 

 世の中の変化につれて、どの文化も少しずつ変化していく。変化そのものが文化であり、変化に伴う影響そのものも文化なのですから。

 まして、これまでの、お茶における女性たちの活躍がなければ、お茶はもっと衰退し、今のような隆盛は見られなかったのではないでしょうか。

 

 

男たちの復権 ] 

 さて、そもそも男たちの文化であったはずの茶の湯が、富国強兵・殖産興業という要請によって、一般庶民の間からは遠ざかり、わずかに家元と一部の数寄者によって営まれる程度のものに衰退してしまった。そして、庶民のお茶は戦後の経済成長期では、男たちに代わって女たちの参画によって盛んになってきた。

 大ざっぱにいえば、これが明治維新以降のお茶の盛衰の流れであったわけです。

 私は、茶の湯が男たちの文化であったのだから、男たちの手に戻るべきだとは思いませんが、もっと多くの男性が茶の湯に親しむことができていれば、ひと頃言われていた、日本の経済至上主義や、日本人がエコノミックアニマル呼ばわりされたことも、さほど、なかったのではないかと思っています。

 

 茶の湯が日本人の感性によって創りあげられた、世界に誇れる文化であるが故に、もしも、このまま男性社会が続いていくとすれば、なおさらのこと、もっと多くの男性たちがこの文化の担い手となっていかなければならないはずです。

 

 私のお弟子さんたちには、比較的男性の方が多いのですが、それは私自身が前述のような思想的立場をとっていることも一因としてあるのではないかとも思いますが、なんとか、そういうお茶の側面を理解しながら、稽古に励んでいただきたいと思っております。